Mahler マーラー / 交響曲第10番(ガムゾウ版) ヨエル・ガムゾウ&国際マーラー管弦楽団


 Mahler マーラー / 交響曲第10番(ガムゾウ版) ヨエル・ガムゾウ&国際マーラー管弦楽団

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出荷目安の詳細はこちら商品説明マーラー:交響曲第10番補筆完成全曲版ヨエル・ガムゾウ指揮国際マーラー管弦楽団新たな第10番補筆完成版、2010年ガムゾウ版がついにCD化!マーラー10番の補筆完成版といえばクック版が主流で、ほかにカーペンター版やマゼッティ版、ホイーラー版などがありますが、今回登場するのは、1987年イスラエル生まれの若手指揮者、ヨエル・ガムゾウによるヴァージョンです。ガムゾウは、少年時代にマーラーの第10番に魅せられ、16歳から補筆全曲版に着手して23歳で完成、2010年9月にベルリンのユダヤ芸術祭で国際マーラー管弦楽団をみずから指揮して初演に漕ぎつけています。 今回登場するCDは、マーラー没後100周年の2011年にベルリンのフィルハーモニーでおこなわれた演奏会のライヴ録音で、同じく国際マーラー管弦楽団をガムゾウ自身が指揮しています。 フィルハーモニーでのライヴ録音ながら、無用なフィルタリングや間接音カットがおこなわれていないため、音質は大変良好で、衝撃的なバスドラムから弱音まで確かな存在感で再生されるのは何よりの朗報です。

収録情報

● マーラー:交響曲第10番(ガムゾウ補筆完成版)

79:27

 第1楽章: Adagio

25:29

 第2楽章: Scherzo: Schnelle Vierteln

13:23

 第3楽章: Purgatorio

05:16

 第4楽章: Wild. Der Teufel tanzt es mit mir

11:00

 第5楽章: Finale

24:19

 国際マーラー管弦楽団 ヨエル・ガムゾウ(指揮) 録音時期:2011年11月24,25日 録音場所:ベルリン、フィルハーモニー 録音方式:ステレオ(デジタル/ライヴ)

マーラー交響曲第10番補筆完成版

マーラーの第10番全曲といえば、どのヴァージョンが使用されているかが気になるところですが、ここでは主流のクック版を中心に簡単にまとめておきます。

BBCによる壮大な計画

クック版がつくられるきっかけとなったのは、BBCによって企画されたマーラー生誕100周年記念行事の一環として、交響曲第10番を完成した姿で世に紹介しようという計画でした。 この計画のため、BBCは1959年に音楽学者のデリック・クック

1919-1976

に補筆完成作業を依頼し、クックはこれを受諾、翌年の放送初演に間に合わせるべく作業に取り掛かり、12月19日、ピアノとオーケストラを交えたクック自身による解説の後に、補筆完成の協力者でもあるベルトルト・ゴルトシュミット指揮フィルハーモニア管弦楽団による演奏で全曲が放送されています。

アルマ・マーラーの怒り

ところがこの補筆完成に関わっていなかったアルマは、自身の知らぬヴァージョンが放送されたことで怒り、このクック版による演奏を禁止してしまいます。背景には、アルマがシェーンベルクに完成を依頼して断られたりしていた事情もあるものと思われます。 しかし1963年になると、かつてショスタコーヴィチに完成版を依頼して断られた経験があるジャック・ディーサーらが、アルマのもとを訪れ、くだんのBBC放送録音を実際に聴かせた結果、アルマはそのヴァージョンを気に入り、演奏禁止の解除を決心させることに成功します。 良いことは続くもので、その後、アルマの娘のアンナ・マーラーと、マーラー研究者のアンリ=ルイ・ド・ラ・グランジュによって40ページものスケッチが発見。この楽譜は、ジャック・ディーサーによって、ただちにデリック・クック、クリントン・カーペンター、ジョー・ホイーラーら完成版に取り組む人々に送付され、各ヴァージョンはそれまでの姿に大きな変更を加えることとなるのです。

クック第2稿の初演

新発見素材をもとに、第2楽章と第4楽章の欠落部分を補うなどして完成されたのが、クック第2稿で、このヴァージョンは、1964年のプロムスで8月13日に初演されています。これは欠落の無い完成版ということもあって注目を集め、翌年11月にはさっそくユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団によってセッション・レコーディングがおこなわれていました。

クック第3稿とゴルトシュミット

ゴルトシュミットについては、十数年前の退廃音楽ブームの際に多くのアルバムがリリースされたことをご記憶の方も多いことでしょう。ユダヤ系ドイツ人作曲家のベルトルト・ゴルトシュミット

1903-1996

は、ナチによる迫害を逃れてイギリスに亡命、BBCに勤務していたという人物。当初からクックの作業に助言を与えており、第3稿第1版の後、クックが57歳で急死した後も、クック版の推敲に尽力し、1989年には第3稿第2版を刊行していました。

交響曲第10番全曲版

以前は第1楽章のアダージョのみの録音が多かったマーラーの交響曲第10番は、ここ数年全曲版の録音が相次いで登場し、多くの謎と未解決の問題を孕むこの未完の大作が広く一般に聴かれるようになってきました。特にサイモン・ラトルがベルリン・フィルを指揮した録音の登場は、この作品が他のマーラーの交響曲と同様に、レパートリーとしての不動の地位を確立したことを強く印象づける画期的な出来事と言えるものでした。 最も代表的なデリック・クック

1919〜76

による補筆完成版の他に、カーペンター版やマゼッティ版、ホイーラー版など、マーラーが残したスケッチや資料に基づく独自の分析と研究、それに豊かな想像力を加えた様々なヴァージョンが数多く存在するのもこの作品の特徴であり、ファンにとってはますます興味の尽きない状況となっています。 マーラーが交響曲第10番に本格的に着手したのは1910年夏のことで、その年のうちに作品の骨格にあたる全5楽章の略式総譜を書き上げ、第1楽章全体と第2楽章、および第3楽章の一部はスケッチの形でオーケストレーションも施されました。 この年の7月から9月にかけてのマーラーの身辺は波乱に満ちたもので、第10番の作曲に取り掛かった直後の7月に愛妻アルマの不倫が発覚し結婚生活最大の危機を迎え、マーラーは精神的に不安定な状態に陥り、そのため8月末には精神分析の創始者として有名なフロイトを訪ねて診察を受けています。 また9月にはミュンヘンで交響曲第8番『千人の交響曲』の初演を指揮し、作曲家マーラーとして空前絶後の大成功を収めますが、これが最後の自作の初演となりました。 1911年5月18日にマーラーはこの世を去り、第10番は未完成のまま残されました。その後多くの作曲家や研究者たちの手によって紆余曲折を経ながら、この作品の補筆完成の試みが続けられ現在に至っているわけですが、最初の録音はウィン・モリス指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団によって、デリック・クックの「最終改訂版」である第3稿の第1版を用いておこなわれています(この版は彼らによって1972年10月に初演が行われています)。 クック版第3稿は1976年に第1版が出版され、同年クックも亡くなっているので「最終改訂版」と言われていますが、1989年には、クックと共同作業を進めていたゴルトシュミットとマシューズ兄弟がさらに改訂を加えた第3稿第2版が出版されています。ラトル&BPO盤はこの第3稿第2版によっています。ちなみに第2稿にはオーマンディのセッション録音などがありますが、第1稿は完全な全曲ヴァージョンではないということもあってか録音がなかったものの、BBCの初演放送が登場することとなりました。 いくつかある全曲ヴァージョンの中で、一般的なのは、クック版第3稿第1版=COOKEIIの演奏で、録音もモリス、ザンデルリング、レヴァイン、ラトル&ボーンマス響、シャイー、ギーレンなどがありますが、独自の改訂を加えたものが多いのも特徴です。 第10番全曲 ヴァージョン別録音リスト

クック版第1稿

ゴルトシュミット&フィルハーモニア管

クック版第2稿(COOKEI)

ゴルトシュミット&ロンドン響オーマンディ&フィラデルフィア管マルティノン

クック版第3稿第1版(COOKEII)

モリス&ニュー・フィルハーモニア管ザンデルリング&ベルリン響レヴァイン&フィラデルフィア管ラトル&ボーンマス響シャイー&ベルリン放送響インバル&フランクフルト放送響ギーレン&南西ドイツ放送響

クック版第3稿第2版(COOKEIII)

ラトル&ベルリン・フィルノセダ&BBCフィルハーディング&ウィーン・フィル

バルシャイ版

バルシャイ&ユンゲ・ドイチェ・フィル

カーペンター版

ファーバーマン&フィルハーモニア・フンガリカリットン&ダラス響ジンマン&トーンハレ管ラン・シュイ&シンガポール響(映像)

マゼッティ版第1稿

スラトキン&セント・ルイス響

マゼッティ版第2稿

ロペス=コボス&シンシナティ響

ホイーラー版

オルソン&ポーランド放送響

サマーレ&マッツーカ版

ジークハルト&アーネム・フィル

ピアノ版(スティーヴンソン&ホワイト編)

クリストファー・ホワイト年表

1910

作曲開始

1911

マーラー死去。10番については、4段譜表による全曲の略式総譜、つまり作品の骨格がすでに完成されており、うち、第1楽章と第2楽章、および第3楽章の最初の30小節はオーケストレーションを施したスケッチもなされていました。

1924

後に娘のアンナの夫となる作曲家、エルンスト・クルシェネクにアルマが完成を依頼。ほどなく、第1楽章草稿をほぼそのまま演奏譜に直し、第3楽章スケッチにオーケストレーションを施した2楽章版が完成する。ただし、スケッチの読み違いなども多く、その後1951年に刊行されるまでには、シャルクやツェムリンスキーによってかなり修正されることとなります10月14日、シャルクの指揮により上記クルシェネク版、ウィーンで初演。次いで11月にはメンゲルベルクがオランダ初演、12月にクレンペラーがベルリン初演、同じく12月にはツェムリンスキーがプラハ初演。ウィーンのパウル・ソルナイ(のちのアンナの夫)により、スケッチのファクシミリ版刊行(一部に欠損あり)

1935

フリードリヒ・ブロックによるピアノ4手版完成

1942

ジャック・ディーサーは作品完成に向け、レニングラードでショスタコーヴィチを招いて打診するものの断られます

1946

アルマはジャック・ディーサーをビヴァリー・ヒルズの自邸に招きシェーンベルクに打診するよう依頼するものの、シェーンベルクからは断られますアメリカのクリントン・カーペンター、自らの補筆完成版にシカゴで着手

1951

ニューヨークのアソシエイテッド・ミュージック・パブリッシャーからクルシェネク版刊行

1952

ヘルマン・シェルヘンがアダージョを初録音(←バルシャイが若き日に影響を受けた録音)。

1953

イギリスのジョー・ホイーラー、自身の完成版にロンドンで着手。

1954

ドイツのハンス・ヴォルシュラーガー、補筆完成版に着手

1955

ホイーラー版の完成。ホイーラー第1稿と呼ばれます

1957

ホイーラー版の一部、ロンドンで試演

1959

ホイーラー第3稿完成。BBCがマーラー生誕100年祭を企画。デリック・クック が補筆完成版に着手

1960

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