Tchaikovsky チャイコフスキー / Sym, 6, : Abendroth / Leipzig Rso


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宇野功芳

「アーベントロートは旧東ドイツで活躍していたため、もう一つ知名度が弱いが、フルトヴェングラーより3歳年上のこの巨匠の個性は極めて強烈で、ブラームスの一番と「悲愴」はフルトヴェングラーよりもはるかに雄弁であり、「第九」も部分的に上まわる。一方、ハイドンやモーツァルトの交響曲における、きりりとした造型の中に宿る豊かな内容は、この指揮者の芸風の広さを示して余すところがない。今こそ聴くべし、アーベントロート!」ヘルマン・アーベントロート(1883-1956)はフルトヴェングラー(1886-1954)やクナッパーツブッシュ(1888-1965)と同世代のドイツの巨匠指揮者。旧東ドイツのライプツィヒを拠点に活躍していたため、西側にとっては”幻”の指揮者であったが、ドイツシャルプラッテンと契約した徳間音工が”幻”の音源を発掘、1974年はじめてLPシリーズで発売、宇野功芳氏の推薦紹介とあいまって、業界に大反響をまきおこしたであった。その後CD化されたが、国内LP盤の音質には達していないのがファンの不満でもあった。そのCDも長らく廃盤になっている中、宇野功芳氏がLPで20枚分ある音源の中から自ら推薦演奏のみ厳選し全曲を解説、キング独自のハイパー・リマスタリング技術を施して発売!ハイパー・リマスタリングとは歴史的アナログ録音の持ち味を最大限デジタル・マスタリングに生かすべく(1)管球式ハイパワー・ライン・アンプの使用(2)純粋正弦波交流電源の使用(3)伝送系ケーブルの使い分け−等々マスタリングの機器や周辺環境を整備して行う、当社独自の技術です。“世界最高水準の音質”との評価を誇るスーパー・アナログ・ディスクの技術に裏打ちされた、わが社のみが成しえる職人芸術の粋をCDで堪能できます。(キングレコード)・チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調Op.74「悲愴」 ヘルマン・アーベントロート指揮 ライプツィヒ放送交響楽団 録音:1952年1月28日ライプツィヒ放送局スタジオ(SRKホール)、モノラル

アーベントロートのプロフィール

1883年フランクフルトの大きな書籍商の息子として生まれた。7歳からヴァイオリンを始める。1900年からミュンヘン音楽院でフェリックス・モットルに指揮法を、ルートヴィヒ・テュイレに楽理と作曲を、ピアノはアンナ・ランゲンハム・ヒルツェルに師事した。1905年からリューベック市でプロの指揮者としてスタートする。1911年から1914年までエッセン市の音楽監督をつとめた。1914年ケルン音楽院の院長となり、1915年から1934年までケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団を指揮。1918年にケルン市の音楽監督に就任。1919年教授になる。1922年からはベルリン国立歌劇場でも指揮し始める。1934年1月、ナチス・ドイツより「ナチスの政策に非協力的であること」「ユダヤ人社会ならびにユダヤ人とその文化に好意的であること」などの理由から、ケルン音楽大学学長などの職務を解任され、公職追放された。同年、ライプツィヒに移住。ブルーノ・ワルターが亡命して空席となっていたライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団常任指揮者に就任し、終戦まで務めた。1943年・1944年バイロイト音楽祭でニュルンベルクのマイスタージンガーを指揮。1945年末にゲヴァントハウス管弦楽団を退任し、翌1946年よりヴァイマル音楽大学学長ならびにリスト博物館館長に着任。1949年よりライプツィヒでの指揮活動を再開し、ライプツィヒ放送交響楽団首席指揮者に、1953年からはベルリン放送交響楽団首席指揮者に就任。1949年08月25日ドイツ民主共和国から国家賞を受賞。戦後は東ドイツに留まったが、西ドイツのオーケストラへも度々客演している。1951年にはプラハの春音楽祭に東ドイツ代表として参加。1954年から1955年まで、東欧各地やバルカン半島でも演奏活動を行っている。1956年5月下旬、イェナに演奏旅行で滞在中に脳卒中に倒れ、いったんは手術により小康状態を保つが、5月29日に病院内の庭を散策中に再び倒れ、そのまま帰らぬ人となった。葬儀は6月2日に、東ドイツにより国葬として行われた。戦後の10年間、東西に分割されたドイツ楽壇において、西のフルトヴェングラーに対し東ではアーベントロートのみが最重鎮としてその存在をあらしむものであった。(キングレコード)曲目リストDisc11.交響曲 第6番 ロ短調 Op.74 「悲愴」 第1楽章: アダージョ-アレグロ・ノン・トロッポ/2.交響曲 第6番 ロ短調 Op.74 「悲愴」 第2楽章: アレグロ・コン・グラツィア/3.交響曲 第6番 ロ短調 Op.74 「悲愴」 第3楽章: アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ/4.交響曲 第6番 ロ短調 Op.74 「悲愴」 第4楽章: フィナーレ、アダージョ・ラメントーソ

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