ペッテション(1911-1980) / Sym, 6, : C.lindberg / Norrkoping So


 ペッテション(1911-1980) / Sym, 6, : C.lindberg / Norrkoping So

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状態可状態詳細SACD(ハイブリッド)、EU盤、ケースすれコメントBIS/BIS-SACD-1980中古商品のご購入について
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ペッテション

 グスタフ・アラン・ペッテション

1911-1980

はストックホルム郊外のスラムに育ちます。鍛冶職人の父親はアルコール中毒で、粗暴な人物であり、一方、母は暴力に無抵抗を貫いた信心深い女性で、この母がときおり歌う賛美歌の美しさがアラン少年に与えた影響にはかなり深いものがあったと思われます。アラン少年はアルバイトでこつこつ貯めたお金でヴァイオリンを購入、独学でヴァイオリンの演奏をなんとか習得すると、15歳のときにストックホルム王立音楽院を受験、しかしハードルは高く、4年連続で試験に落ち、ようやく5年目にして入学が叶うことになります。 ペッテションはここで苦学を重ねながらヴァイオリンとヴィオラ、作曲を学び、卒業後、1940年から1950年にかけてストックホルム・コンサート協会管弦楽団とスウェーデン放送のアンサンブルでヴィオラ奏者として活動する一方、ブロムダールやオルソンに作曲を師事、1949年に、「弦楽四重奏とヴァイオリンのための協奏曲」で作曲家として本格的にデビューします。 この間、1943年にはグードルン・グスタフソンと結婚し、以後約30年に渡って住むこととなった南ストックホルムの小さなアパートに転居します。 その後、1950年にパリに留学し、オネゲル、ミヨー、メシアンらに作曲を師事するほか、レイボヴィッツからは12音技法を学びますが、ペッテションは結局12音技法には否定的でした。 2年の留学の後、スウェーデンに戻った41歳のペッテションは、多発性関節症を発病。ヴィオラの演奏に支障を来たすようになってしまい、オーケストラを辞した彼は演奏家としての活動を停止、作曲に専念する道を選びます。 以後のペッテションは常に関節の痛みに悩まされるようになりますが、1950年代はまだそれほど重くは無かったようで、交響曲第2番、第3番、第4番といった作品や、「弦楽四重奏とヴァイオリンのための協奏曲」など、身につけた技法を率直に作品に反映した曲が多くなっているのが特徴的。 しかし1960年代に入ると状況は一変します。関節の痛みはもはや尋常ではなく、交響曲第5番は、その後のペッテションを特徴づける異様なまでの激しさ・暗さに彩られるようになり、第6番、第7番、第8番と、連続していわゆる「ペッテション的」な傑作を書き上げてゆくことになるのです。 特にドラティが注目して初演した第7番と第8番、第10番は評判となり、国際的にもペッテションの名が知られるようになります(余談ながらドラティの見出した現代モノというとジェラルドの『ペスト』が思い出されますが、あれも同じ頃の出来事でした)。 こうした成功を受けてか、1970年にはペッテションはスウェーデン音楽アカデミーの会員に選ばれるという栄誉に浴しますが、しかし、この頃、多発性関節症のほかに腎臓病を併発、いっそう悪化する健康状態の中で、巨大な交響曲第9番を書き上げ、引き続き今度は入院先で双生児的作品とも呼ばれる交響曲第10番と第11番を完成させます。 まさに鬼気迫る作曲人生ですが、1973年になると、ウプサラ大学創立500年記念祝典のために「深遠な感覚の中で現代の社会性を持った」作品を書くよう委嘱され、ペッテションはこれに彼にとって初の試みとなるカンタータ的な交響曲を書いて応えます。大学の記念祝典に、南米チリのサンチャゴで起こった労働者の虐殺事件を題材とするあたり、ペッテションならではといった印象ですが、力強く悲劇的な作品はわかりやすさも兼ね備え、「現代の社会性」を見事に織り込んだ「深遠な感覚」をよく伝えているものと思われます。 晩年のペッテションは、長年に渡って住み続けた騒々しいアパートから、閑静な住居へと引っ越したこともあってか、健康状態に反比例して創作意欲が増しているのに驚かされますが、しかし、すでにペッテションは癌に蝕まれており、1980年6月20日、帰らぬ人となってしまいます。(HMV)

収録情報

・ペッテション:交響曲第6番 (1963/6) ノールショピング交響楽団 クリスチャン・リンドベルイ(指揮) 録音時期:2012年1月 録音場所:ノールショピング、ルイス・デ・ギア・コンサートホール 録音方式:ステレオ(デジタル/セッション) SACD Hybrid CD STEREO/ SACD STEREO/ SACD SURROUND

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