出荷目安の詳細はこちら商品説明メンゲルベルク協会による新リマスター・シリーズ臨場感あるデジタル・リマスタリングで歴史的演奏が蘇る!ベートーヴェン:交響曲第9番、第7番、皇帝、エグモント(2CD)メンゲルベルク指揮コンセルトヘボウ管弦楽団、他メンゲルベルク協会による新リマスター・シリーズ第2弾。ピアニストでもあるヨッヘム・ヘーネによるリマスターは非常に手の込んだものです。目立つノイズはひとつひとつ手作業で除去することで音源としての快適さを追求し、さらに最新の研究成果を反映したデジタル技術を駆使することで疑似ステレオ化をおこなっています。 これはホールを知り尽くした演奏家ならではの発想です。半世紀に渡ってメンゲルベルクが指揮していたコンセルトヘボウ大ホールのサウンドは、実際にはとても豊かな間接音を特徴とするものであったことを聴き手に想起させるべく、ヨッヘム・ヘーネの運営するストゥーディオ・ファン・スフーペンは、リバーブ界のトップ企業でもあるアメリカのハイエンド・オーディオ・ブランド「ブリカスティ」の技術者と協力して新たなアルゴリズムを開発しています。 トラックリスト (収録作品と演奏者)ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン
1170-1827
◆ 交響曲第7番イ長調 Op.92 37:491. I. ポコ・ソステヌート - ヴィヴァーチェ 11:552. II. アレグレット 09:153. III. プレスト 09:404. IV. アレグロ・コン・ブリオ 06:59アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団ウィレム・メンゲルベルク(指揮)録音:1940年4月25日◆ ピアノ協奏曲第5番変ホ長調 Op.73「皇帝」 38:125. I. アレグロ 20:196. II. アダージョ・ウン・ポコ・モッソ 07:597. III. ロンド:ヴィヴァーチェ 09:54コル・デ・フローテ(ピアノ)アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団ウィレム・メンゲルベルク(指揮)録音:1942年5月9日CD 21.
◆ 「エグモント」序曲 Op.84 08:21アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団ウィレム・メンゲルベルク(指揮)録音:1943年4月29日
◆ 交響曲第9番ニ短調 Op.125「合唱」 68:002. I. アレグロ・マ・ノン・トロッポ 14:473. II. モルト・ヴィヴァーチェ 11:404. III. アダージョ・モルト・エ・カンタービレ 15:385. IV. フィナーレ:プレスト 25:55トー・ファン・デル・スルイス(ソプラノ)スーゼ・ルーヘル(アルト)ルイ・ファン・トゥルダー(テノール)ウィレム・ラヴェッリ(バス)アムステルダム・トーンクンスト合唱団オランダ王立オラトリオ協会合唱団アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団ウィレム・メンゲルベルク(指揮)録音:1940年5月2日 Track listLudwig van Beethoven (1770-1827)CD 1Symphony No. 7 in A major Op. 92 37:491. poco sostenuto - vivace 11:552. Allegretto 09:153. Presto 09:404. Allegro con brio 06:59Concertgebouw OrchestraWillem MengelbergRecording: 25 April 1940Piano Concerto No. 5 in E flat major Op. 73 38:125. Allegro 20:196. Adagio un poco mosso 07:597. Rondo: vivace 09:54Cor de Groot PianoConcertgebouw OrchestraWillem MengelbergRecording: 9 May 1942CD 21. Overture to Egmont Op. 84 08:21Concertgebouw OrchestraWillem MengelbergRecording: April 29, 1943Symphony No. 9 in d minor Op. 125 68:002. Allegro ma non troppo 14:473.. Molto vivace 11:404. Adagio molto e cantabile 15:385. Finale: Presto 25:55To van der Sluys sopranoSuze Luger contraltoLouis van Tulder tenorWillem Ravelli bassAmsterdam ToonkunstkoorKoninklijk OratoriumkoorConcertgebouw Orchestra AmsterdamWillem MengelbergRecording: 2 May 1940 メンゲルベルクの一族ウィレム・メンゲルベルクの先祖は代々ドイツ人という家系。両親は1866年に大聖堂の街ケルンで結婚し、1869年にオランダの大聖堂の街ユトレヒトに移住。宗教関連の仕事で収入に恵まれたことと、乳幼児死亡率の高い時代ということもあって、2人の間には16人の子供が誕生。ウィレムは、オランダ移住から2年目に生まれた第4子でした。 父方の先祖は、ケルン近郊で同じくライン川沿いの「リンツ・アム・ライン(ライン川のリンツの意)」に中世から暮らし、ウィレムの高祖父にあたるエドムント・ハイムンドゥス・メンゲルベルク
1746-1792
の代で、ケルンに転居。大聖堂の巨大な2本の塔がまだ無かった時代ですが、ケルンは神聖ローマ帝国最大の都市で、人口約4万人を擁する「自由帝国都市」でもありました。 以下が、ウィレムの曾祖父、祖父、父となります。曾祖父:エギディウス・メンゲルベルク1770-1849
肖像画家、石版画家、室内装飾家、美術教師。祖父:ヨハン・エドムント・エギディウス・メンゲルベルク1814-1884
彫刻家。父:フリードリヒ・ヴィルヘルム・メンゲルベルク1837-1919
親のヨハン・エドムントのほか、大聖堂の建築家であるフリードリヒ・ヴィルヘルム・シュミット1825-1891
、彫刻家のクリストフ・シュテファン1797-1864
らに師事。1857年、20歳で修業を終えるとケルンで独立。カトリックに改宗して宗教美術の彫刻家、建築家、画家、室内装飾家、家具製作者として活動を開始。4年後の1861年には弟のオットー1841-1891
とともに宗教美術のアトリエを設立して成功、1865年には大聖堂の街アーヘンでもアトリエを開設してカトリックの仕事を拡大。 そして1868年には、オランダのユトレヒト大聖堂の司教座を製作し、続いて同大聖堂の残りの家具の製作も依頼されたことから、1869年にはオランダに移住する道を選びます。背景にはドイツ系オランダ人の建築家アルフレート・テーペ1840-1920
がケルン大聖堂の現場で1865年から1866年にかけて働いていたことが関係しているかもしれません。テーペと父フリードリヒ・ヴィルヘルムのオランダでの共同作業はかなり多かったということなので。 ちなみにオランダは、1848年の憲法改正により、スペインからの独立以来、約200年間禁じられていたカトリックを合法化。5年後の1853年にはローマ教皇ピウス9世1792-1878
により、4つの教区が導入され、巨大な大聖堂のあるユトレヒトは大司教区としてカトリック復興の重要な拠点となったほか、オランダ全土でカトリック教会の建設が盛んになり、その状態が数十年に渡って続くことになります。 父フリードリヒ・ヴィルヘルムのアトリエの従業員数も、1876年に4人だったものが、1885年に21人、1890年に32人と成長していたということで、オランダ移住が正しかったことを証明しています。 年表1871・1872・1873・1874・1875・1876・1877・1878・1879・1880・1881・1882・1883・1884・1885・1886・1887・1888・1889・1890・1891・1892・1893・1894・1895・1896・1897・1898・1899・1900・1901・1902・1903・1904・1905・1906・1907・1908・1909・1910・1911・1912・1913・1914・1915・1916・1917・1918・1919・1920・1921・1922・1923・1924・1925・1926・1927・1928・1929・1930・1931・1932・1933・1934・1935・1936・1937・1938・1939・1940・1941・1942・1943・1944・1945・1946・1947・1948・1949・1950・1951 1746年●高祖父エドムント・ハイムンドゥス・メンゲルベルク
1746-1792
誕生。エドムントは、のちにリンツ・アム・ラインから、大聖堂の街ケルンに転居。 1770年●曾祖父エギディウス・メンゲルベルク
1770-1849
、ケルンで誕生。肖像画家、石版画家、室内装飾家、美術教師。 1814年●祖父ヨハン・エドムント・エギディウス・メンゲルベルク
1814-1884
、ケルンで誕生。彫刻家。 1837年●10月18日、父フリードリヒ・ヴィルヘルム・メンゲルベルク
1837-1919
、ケルンで誕生。 1845年●母ヴィルヘルミナ・アンナ・ヘレナ・シュラッテンホルツ
1845-1930
、ドイツのジーククライス州ヘンネフ近郊のシュログ・オールナーで誕生。 1848年◆オランダで憲法改正。欧州各国で革命機運の吹き荒れる中、オランダではスペインからの独立以来禁じられていたカトリックが認められることになります。 1853年
◆ローマ教皇ピウス9世
1792-1878
により、オランダに4つの教区が導入され、巨大な大聖堂のあるユトレヒトは大司教区として、カトリック復興の重要な拠点となります。 1857年●父メンゲルベルク、20歳で修業を終え、ケルンで独立。プロテスタントからカトリックに改宗して宗教美術の彫刻家、建築家、画家としてカトリック系の仕事を得て活動を開始。 1861年
●父メンゲルベルク、弟のオットー
1841-1891
とともに宗教美術のアトリエを設立して成功。 1861年●父メンゲルベルク、大聖堂の街アーヘンでもアトリエを開設してカトリックの仕事を拡大。 1866年
●2月14日、父メンゲルベルクと母ヘレナ・シュラッテンホルツ
1845-1930
、ケルンで結婚。共にカトリックでした。 1868年●父メンゲルベルク、オランダのユトレヒト大聖堂の司教座を製作し、続いて同大聖堂の残りの家具の製作も受注。 1869年
●父メンゲルベルク、オランダ、ユトレヒトに移住。 1871年(0歳)…