奥田元宋のジークレーの版画「秋巒真如」は、2005年にリリースされた和の風景画の絵画です。
画家名:奥田元宋(おくだげんそう) 作品名:秋巒真如(しゅうらんしんにょ) 絵のサイズ:W52,9×H42,8cm 額装サイズ:W71×H61 版画の技法:ジークレー サイン:版上サインと落款 納期:10日 奥田元宋(おくだげんそう)さんのジークレーの版画「秋巒真如(しゅうらんしんにょ)」は、2005年にリリースされた和の風景画の絵画です。 このジークレーの版画の限定枚数は120部で、上質TM紙にプリントされています。 このジークレーの版画は奥田元宋さんが1977年に描いた日本画の絵画「秋巒真如」を原画として制作されました。 現在、この日本画の絵画「秋巒真如」は、広島県立美術館に収蔵されています。 奥田元宋さんの奥様であり高名な人形作家で文化勲章も受賞された奥田小由女(おくださゆめ)さんの監修により、この和の絵のジークレーの版画が制作されました。 この和の風景画の絵画のタイトル「秋巒真如」の巒 とは「連なった山々」といった意味を持ち、真如は仏教用語で「真実の姿」「ありのままの真理」を意味しています。 「元宋の赤」と称された赤く燃え上るような紅葉の色彩表現は、美しいという言葉を超越し、幽玄と呼ぶに相応しい見事さです。 奥田元宋(おくだげんそう) プロフィール 1912年広島県双三郡八幡村(現在の三次市吉舎町八幡)に生まれる。 1931年日本画家・児玉希望の内弟子となる。 1936年文部省美術展覧会鑑査展に日本画の絵画「三人の女性」が初入選する。 1937年児玉希望画塾第1回展に日本画の絵画「舞踏場の一隅」を出品し塾賞を受賞する。 「元宋」と号する。 1938年第2回文展に日本画の絵画『盲女と花』を出品し特選となる。 1949年第5回日展に日本画の絵画『待月』を出品し特選と白寿賞を受賞する。 1956年第12回日展に日本画の絵画を委嘱出品する。 日展の会員となる。 1958年社団法人日展が発足し、会員として加わる。 1962年第5回新日展に日本画の絵画「磐梯」を出品し、文部大臣賞を受賞する。 1963年日本画の絵画「磐梯」が第19回日本芸術院賞を受賞する。 1973年日本芸術院会員となる。 1974年日展の常任理事となる。 山陽吟社の主催者・太刀掛呂山と益田愛隣に漢詩の指導を受ける。 1976年人形作家・川井小由女と結婚する。 1977年日展理事長に就任する。 1981年宮中歌会始の召人に選ばれる。 真言宗大聖院の本堂天井画「龍」を制作する。 文化功労者に選ばれる。 1984年文化勲章を受章する。 1989年広島県名誉県民として顕彰される。 1990年「風景画三代の系譜 玉堂・希望・元宋展」が開催される。 1995年日本芸術院第1部(美術)の部長となる。 1996年京都・銀閣寺(慈照寺)の庫裏・大玄関及び弄清亭障壁画を完成させる。 2000年「米寿記念 奥田元宋・小由女二人展」が開催される。 2001年日本画の絵画「白嶺秋耀」を制作する。 「奥田元宋集 わが胸中山水」を出版する。 2003年2月15日逝去、享年90歳。 2006年広島県三次市東酒屋町に奥田元宋・小由女美術館が開館する。