モーリス グルミエ ミレジメ プラットピエール エクストラ ブリュットMAURICE GRUMIER MILLESIME 2012LES PLATES PIERRES EXTRA BRUT Champagne シャンパーニュ 極 辛口 750ml シャンパン ワイン

わずか1.4haの小区画 極辛口プラピエール畑


モーリス グルミエ ミレジメ プラットピエール エクストラ ブリュットMAURICE GRUMIER MILLESIME 2012LES PLATES PIERRES EXTRA BRUT Champagne シャンパーニュ 極 辛口 750ml シャンパン ワイン

青山ワインマーケット

13,200 円 (税抜き)

マルヌ川を見下ろす完璧な南斜面。 太陽の恩恵と、マルヌ川から立ち上る霧、そして涼しい風が育てるブドウ。 エペルネからマルヌ川の上流沿いにVenteuilヴァントイユ村が有ります。 メゾンは風光明媚なロケーションで、ROUTE DU CHAMPAGNE(シャンパーニュ街道)に指定され、ヴーヴ・クリコの出発点であるマダムクリコの居城も望めます。 誰しも羨む好立地、マルヌ川から立ち上る風と、朝霧の恩恵を受けた絶好の南斜面は神が与えてくれた場所。 寒暖の差があり、朝の霧により生育期は長くなり、出来上がったブドウにも複雑なニュアンスを与えます。 メゾンの立つ場所は南向きに門を構え、標高155mにあります。 なだらかな南斜面の畑は標高71mから191mに有ります。 土壌構成は石灰岩質で、シャルドネとピノ·ノワールに適しています。 自社畑の総面積は、わずか8.5ヘクタール それはリシュブール畑一枚分。  ブルゴーニュのグランクリュであるリシュブール畑1枚分と同程度です。  「目の届く範囲の仕事しか出来ない。これからも、畑の拡張は有り得ない。なぜなら、絶対にクオリティを落としたくないから」。 それだけに生産量が少なく、パリ、ランス、コペンハーゲン、ブリュッセルなどの有名美食レストランへの供給量だけで、ほぼ満たされています。 ヨーロッパの美食家から、幻のシャンパーニュと賛辞が尽きません。 自社完結型のエステートボトルです。 自然な畑で収穫された純粋で無垢な果実味がそのまま生きたシャンパーニュが生まれ、テロワールの個性を楽しめます。 ヴァレ・ド・ラ・マルヌ地区ではテロワール主義者としての第一人者となり、HVE認定(Haute Valeur Environnementale フランス農水省が認めた、環境保全農業の環境価値重視認定)を取得した造り手となりました。 肌の弱い子供が駆け巡る畑です。 HISTORY ヒストリー 1743 グルミエGrumier家は1743年に、このヴァレドラマルヌ地区VENTEUILにおいてぶどう栽培を行っていました。 同家の名前でシャンパーニュを世に送り出した最初の年は1928年です。 世代は、 Amand Grumier アマンド・グルミエです。 幾多の困難を乗り越え第2次世界大戦を迎えます。 ドイツ軍占領下の悲しい歴史 シャンパーニュ地方 ドイツ軍によるフランス占領は1940年から1944年まで続きました。 シャンパーニュを造るための人は戦争にかり出されました。 この時代、力の有る働き手は徴兵され、ヴァントゥイユ村にもほとんどいませんでした。 もちろん、グルミエ家の長男モーリス・グルミエ氏も徴兵されました。 シャンパーニュ地方は占領下で、暗黒の時代を過ごしました。 今まで主要な販売国だったイギリスを始め、日独伊三国同盟の敵国には販売することが出来なくなったのです。 しかしシャンパーニュの製造はそのまま続けられました。 悲しいかな、継続の理由はシャンパーニュ地方の経済のためではなく、ドイツ軍の為への供給をはじめ、中立国との貿易のための通貨としてシャンパーニュが使用されたのです。 そして、ドイツ軍に送られたボトルには、フランス語とドイツ語で「Wehrmacht(ドイツ国防軍)のための予約」マークがついていました。 その為シャンパーニュのメゾンは、フランス国民向けのキュヴェとドイツ軍向けのキュヴェを分ける必要が有ったのです。 最高のボトルはいつもドイツ軍の方に送られたのでした(涙) 1943年になるとフランスのレジスタンス活動が活発になりました。 その暴動を抑制するためにドイツの監視は厳しくなり、レジスタンス活動に参加した栽培農家やメゾンの闘士たちは逮捕されました。 沢山の人がナチスの強制収容所に送られ凄まじい拷問を受け鬼籍に入った若者も多かったようです。 ローラン・ペリエ社の長男も収容所で亡くなりました。 終戦後、長男モーリス・グルミエが帰郷。 終戦後、1945年戦地にフランス軍として徴兵されていた長男であるモーリスが奇跡的に帰郷しました。 犬神家の一族、ビルマ戦線から奇跡的な帰還を果たした、犬神佐清(スケキヨ)をほうふつさせますね。 その後、メゾンの名前をMaurice Grumierモーリス・グルミエにしました。 モーリスは、1968年に不慮の事故にて他界。 残された家族で、メゾンを維持し、モーリスの理念を継承しました。 現在の当主4代目、ファビアン・モーリスはワイン醸造学を学び、1999年に妻のヘレンと共に、自然に耳を傾けながら理想のシャンパーニュ造りに着手し、類まれな評価を集めました。 総面積は8.5ヘクタールとシャンパーニュメゾンとしてはかなり、小さい方です。 ブルゴーニュのグランクリュであるリシュブール畑1枚分と同程度の面積です。 全て自社畑から熟成、瓶詰めと一貫した自社生産。 「目の届く範囲の仕事しか出来ない。これからも、畑の拡張は有り得ない。なぜなら、絶対にクオリティを落としたくないから」。 それだけに生産量が非常に少なく、アメリカへの輸出はしておりません。 パリ、ランス、コペンハーゲン、ブリュッセルなどの有名美食レストランへの供給量だけで、ほぼ満たされています。 名だたる評論家から高評価。 自然に寄り添った手作りのシャンパーニュ、その品質は世界の名だたる評論家が絶賛。 「シャンパン造りは農業である。モーリス・グルミエの真摯な仕事を見て改めて思った。」 MAURICE GRUMIER MILLESIME 2012 LES PLATES PIERRES EXTRA BRUT Chardonnay60% Pinot Noir40%  Venteuil村の所有畑の名前のキュヴェです。 ミネラル分豊富な区画です。直訳すると平らな石という名前の区画は石灰岩が中心の区画で、1990年に植樹した1.4haの小区画です。 マロラクティック発酵させ、フュ・ド・シェーヌスタイルで、樽熟成を確り行っております。 瓶詰は2013年4月です。 Degorgement デゴルジュマン 2021年10月27日 Dosage ドサージュ 3g 類いまれな成熟度のブドウを生み出した優良2012年 2012年ヴィンテージは、瑞々しさと凝縮感を兼ね備えた、類稀な成熟度のブドウが生まれた偉大な年。 シャンパーニュ愛好家垂涎のグレートヴィンテージです。 ワイン・アドヴォケイト誌のヴィンテージ・チャートで96点を獲得したグレートヴィンテージ。 歴史に残る記録的な寒気に見舞われた冬は、過去10年間の平均最低気温を大きく下回り、4月~5月中旬にかけても霜が続き、雹の被害を受けたブドウ畑もありました。 しかし、7月から9月10日の収穫までの間は非常に暑く晴天が続き、強烈な太陽の日差しをたっぷり浴び、収量は少ないものの非常に熟成度の高い健全なブドウが結実しました。 黄金の光沢を持つ繊細な色で、グラスに注いだ瞬間に、ヘーゼルナッツやアーモンドの香りが溢れ出し、徐々にハチミツやミネラルのニュアンスが混ざり合い、複雑なアロマが漂います。 凝縮感のある果実味と程良い酸が、力強い骨格を生み出し、最後は長い余韻へと続く、リッチで不複雑な凝縮感、熟成したエレガントで繊細な味わい。

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